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2007年1月

子どもってスゴイ

よく、子どもは親の背中をみて育つ
といわれますが、
本当に子どもはありのままを模倣する、
すばらしい能力をもっているなぁと感動します。


大人になると、
この、ありのままを模倣する
のが難しくなります。


ありのままを見ようとしても、
自分のフィルターをとおして、
受け取ってしまうので、
ありのままを模倣するのは、本当にむずかしい。


年をとればとるほど、
その傾向は強くなります。


養成コースで一番苦労するのが、ココです。


しかし、子どもはスゴイ!
なんでもありのままに模倣してしまう。


産後セルフケアインストラクターの
野田カオリさんに教えてもらって
最近、産後クラスの腹筋にも導入している
北原白秋の
「あめんぼあかいなあいうえお、
うきもにこえびも泳いでる、
柿の木栗の木かきくけこ・・・」
という発声練習の詩があります。


私も、家で毎日、
かつぜつの練習ということで、
やっているのですが、
それをきいた息子は、
あっという間に暗記してしまいました。

私が、たまに間違えたり、忘れたりすると、
おしえてくれたりします。


そのほか、これはなんだか息子自慢
みたいになっちゃいますが、
今年は、百人一首も百首ぜんぶ暗記してしまいました。
意味はわかってないけど。


コマにしても、けん玉にしても、リフティングにしても、
子どものほうが先に、
あっというまにマスターしてしまう。


どれもこれも私がやらせたのじゃなくて、
かってに覚えてしまっていて、
ほんとにすばらちいなぁ・・・とおもいます。

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反省アピールはエゴを手放せていない証拠

産後セルフケアインストラクター9期生の
集中講座のレポートの添削をしています。

養成チームの高橋葉子さんがひととおり添削してくださったあと、
私が今、目を通しています。

レポートを読むと、
養成コースに入門したての人とレポートと、
養成コースを終えて、 アシスタント研修にとりくんでいる人のレポートと、
インストラクターとして活躍している人(ただし、普段からレポートをちゃんと書いている人)のレポートは、
質が全然ちがいます。

入門したての人は、まだまだ具体的に自分が何をすべきか
を特定しきれておらず、
「感想」または「反省」でおわってしまっていて、
その講座でやったことをまとめたり、
考察を加えたりということが欠けてしまっていました。
これでは、ただ講座を消費しただけで、
自分の身にはつかないので、
レポート再提出を提案しようとおもっています。

レポートを読んでいておもったのは、
「反省」は独りよがりな態度であり、
周囲の人のエネルギーを奪う、ということ。

「反省してるんだから私わるくない」
とアピールしているようなもの。
エゴが手放せていないと、
こういうのでいっぱいのレポートになってしまう。

逆に、「反省」は自分の手帳にメモるにとどめ、
自分のやるべきことを着実にこなし、努力し、
一歩一歩成長していっている姿は
周囲の人にエネルギーを与える。

感想、批評を書いているうちは
「お客さん」。

「産後セルフケアインストラクター」は、
講座でやったことを詳細にふりかえり、
考察を加えたうえでの感想をかきます。

そんなわけで、
最初は目を通すだけのつもりだったのですが、
結局、レポートは真っ赤になってしまった・・・。

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やっぱり人間には「仕事」が必要だ

やっぱり人間には「仕事」が必要だ、とおもう。

「技術」を身につけること、
「仕事」があること、
または「仕事」をつくることは、
世界の貧困、
ホームレス問題、
若年犯罪などの解決には、
必要不可欠なことだ、という。

サンフランシスコのBAYCATでは、
裕福でない子どもたちもトレーニングをつんで技術を身につけて、
仕事を受注できるくらいのレベルまで訓練を積んでいる。

仕事につながる技術がある、技術を磨いている、
というのは、生きる希望につながっているのだ。

日本に専業主婦という生きかたが40~50年くらい前に誕生して、
社会に出て働くことをしない大人(主に女性)というのが出現し、
その人の存在価値は家事と子育てにあったが、
そういう時代も、もう終わりを迎えている。

近年、「子育て」を母親がひとりで背負うことの弊害が明らかになり、
社会で子どもを育てよう、という機運が高まっている。

そんな昨今、社会で子どもを育てていくことができれば
子育てにまつわる母親の負担は減る方向にいくことになる。
そうなったら、「家事」と「子育て」と「消費」だけで
自分の存在価値を維持することは難しくなる。

「じゃあ、地域でボランティアを」
という声もあるだろうけれど、
仕事をもっている人だって、ボランティアはやっている。

むしろ、仕事をしていて技術を持っている人が、
その技術を活かしてボランティアをするというスタイルが注目されている。

だから、やっぱり、「仕事」だとおもうのだ。
仕事をつうじて、何かに貢献できるという喜び、
それで自分が試されたり評価されたり、ということも、
時にはストレスになるけれど、
ふりかえってみると、それはお金で買えない経験であり、
人生の糧となる。

お金をつかう「消費」は、一時的な満足感を与えてくれるが、
希望は生まない。
けれど、仕事は、希望を生む。

仕事につながる技術がある、技術を磨いている、
というのは、生きる希望につながっているのだ。


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へこみは過信から

「へこむ」
という態度は、
実は「傲慢さ」「無知」のあらわれである、という話を
今日、着替えながらインストラクターの人たちとしていました。

たとえば、演習講座などで、
自分の演習がうまくできなかった、ダメだしをされて、点数がわるかった、
とへこんでしまうのは、
自分の今の実力を把握していないで、
たとえば練習量がたりてないのに、それを見てみぬふりして
自分を過信しているからではないか?と。

たとえダメだしされても、
自分の力量を把握していたら、
ストレスよりは感謝の気持ちを感じるはず。

先日、マドレボニータのキャパシティアセスメント(団体としての基盤の評価)
というのを3時間くらいかけて、第三者を5人たてておこなったのですが、
それこそマドレボニータのよいところもダメなところも
ぜんぶむき出しになるのですが、
全然それは、ストレスに感じなかったです。

評価してくださった人たちは、
ちょっと辛めでゴメンナサイとおっしゃったけれど、
全然そんなことはなく、
むしろ、やるべきことがみえて本当にありがたいです。

こういうのは、
甘いとか辛いとかよりも、
正確に評価する、正確に把握するということが大事なのだから。

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「華やかさ」「伝わるもの」

昨日みたテレビで、
バレエダンサーの草刈民代さんが語られていた言葉。


訓練していない人が舞台に立っても、
華やかじゃない

日々の基礎鍛錬があってこそ、
何かをやったときに、
それがひとに「伝えられるもの」になる

これは、インストラクターにもいえることだとおもいました。

鍛錬には終わりがなく、

追究すればするほど、ワクワクするもの。

これにワクワクする人が、「つたえる」仕事にふさわしい人なのだろう

とおもいました。

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