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「うつくしいはは」≠キレイなママ

マドレボニータ=美しい母という活動をしているので、
美しい母の定義についてよく考えます。

最近、キレイなお母さんはすごく増えた気がします。
観察してると、やっぱりマクラーレンのベビーカーをおしてる人は、
キレイな人が多い気がします。

オシャレなベビーカー、オシャレな抱っこ紐、
オシャレなベビー服、そういうものは10年前にくらべたら
格段に増えました。

しかし・・・
マドレボニータ(美しい母)プロジェクトの定義する
美しい母は、
「キレイなママ=美しい母」ではないのです。

身につけているものがオシャレとか、抱っこ紐がオシャレとか、
そりゃオシャレであることに越したことはないですが、
人としての美しさ、はそこにあるのではなく、
その人の生き方、行動、発言・・・そういうところに出てくるものです。


平日昼間の吉祥寺、
キレイにきかざって、マクラーレンのベビーカーに子どもを乗せて、
キレイなママ友とお買い物・・・

しかしその子どもは、もう公園で走り回れるくらいの年齢。
ベビーカーに座っていることに耐え切れないくなって、
自力でベビーカーから降りてしまった、
「もー!なにやってんの!!!あぶないでしょ!さ、早くちゃんと座って!」

子どもにしてみたら、ベビーカーにのっけられて
ママの買い物のお供をさせられるより、
広いところで走り回ったり、
砂場で泥んこ遊びやおままごとしたい年頃・・・

そういう場面をみてしまうと、
どんなに美しく着飾って、髪の毛を巻いて、
マクラーレンの限定ベビーカーに子どもをのせて闊歩していても、
それはぱっと見「キレイなママ」かもしれないけど、
「美しい母」とは程遠いな・・・とおもってしまう。

渋谷のマークシティでよく見かける、
キレイに着飾ってヒールのある靴を履いて、ベビーカーをおして、
キレイなママ友と連れだって買い物する女性・・・。
そういうのが「キレイなママ」のスタンダードなのだろうか?
渋谷でお買い物するときくらいは、ちょっと無理してでもヒールを、
というかんじか?

ちなみに、うちは息子がもう小学生なので、
ベビーカーも抱っこ紐も使う機会がないので、
わたしはフツーにコンビニに行くときでも
ヒールのある靴をいつも履いていますが
(足いたくなるけど、やっぱり好きなのです、とくにピンヒール)、
先日、うちの妹の赤ちゃん(1歳)を、
妹にかわって保育園に送り迎えするという機会があったのですが、
そのときは、さすがに、妹の家でスニーカーを借りて履き替えました。

やっぱ、安全をとりました!!!
あたりまえだけど。

ヒールのある靴はいてると、抱っこはしにくいよね。
というか、コワイ。
だからヒールのある靴をはいてる人たちはみなベビーカーなのか・・・。



マドレボニータ(美しい母)プロジェクトの定義する
「美しい母」は、
こんな女性。

自分の醜い部分にも向き合う勇気と体力(そう、こういうことには体力が必要なのです)
他人を受け入れる器量、
人に委ね、感謝することができる器量、
相手が決定的に悪いと思っても、相手を追い詰めない分別、
限界と可能性を把握できる経験と判断、
筋肉で体型をコントロールできる身体スキル、
周りの人や社会に貢献しようとする気持ちと行動、
そういうものをはぐくんでいける人が、
ほんとうの意味での美しい母、
だとおもいます。


そして、そんな大人の姿を身近に感じて、
子どもたちは成長していくのです・・・。


オシャレで、着飾りもするけど、
そういう「人と美しく」生きようとする母が増えたら、
日本はもっと平和になり、
たのしくなるとおもいます。


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